祖母との思い出

Writer: Rie nishizaka

先日、祖母の葬儀のため、福島へ帰省してきました。

祖母が亡くなったのは、3月25日。震災から2週間後のことでした。

震災直後、避難所やら親戚の家やら他人の家やら、いろいろ移動していたので、やっぱり体力が持たなかったのだと思います。

最後は飲んだ水が気管に入ってしまったことによる、窒息死だったようです。

祖母とは私が3歳のときから高校卒業までずっと一緒に暮らしていました。

もともと母子家庭だった私と母は、母が私が中学の頃に他家に嫁ぐということで、母との別れを余儀なくされました。

それ以降、私はずっと祖父母の子として育てられ3人で一緒に暮らしてきました。

父も母もいないことに苛立ちを隠しきれず、母を恨み、母を奪っていった男を恨み、本当の父親を憎みました。

家にいても楽しみもなく、高校に上がると同時に友達と遊び歩くようになりました。

そんな私のスタイルを良しとしなかった厳格な祖父とは、事あるごとにかなりぶつかり合い、祖母はそれに対して何を言うわけでもなく、黙々と淡々と生活していました。

そんな祖母の態度に不満を感じ、寂しさを覚え、そして苛立ちを隠せずまた怒る・・・そんなことの繰り返しでした。

でも今思えば、多分当時の私に対してはそれ以上のことは出来なかったのでしょうね。言っても聞かなかったでしょうし。

高校を卒業して東京に就職をしてからは、福島に帰ることもなく、これまで過ごしてきました。

私の中では、福島での思い出は苦痛でしかなく、できれば近寄りたくない場所だったんです。

祖母も祖父が亡くなってからは、私の叔母と二人でひっそりと暮らしていたようです。

でも震災があった3月11日、両親のことを心配するとともに、祖母のことも心の端っこにひっかかり口には出さないまでも、とても気がかりでした。

体力的にもう持たないのではないかと、覚悟はしていましたが、やはり本当に天に召されてしまうと悲しいもんですね。

なんだかんだ言っても、祖母と暮らした15年間という月日は、私にとってはかけがえの無い時間だったんです。

両親とは、当時のわだかまりもある程度自分の中で納得をさせ、数年前から連絡をとりあうようになりました。

でも祖母には会いにいかなかった。会いたくなかったわけではなく、どういう顔をして会ったらいいのか分からなかったんです。

馬鹿ですよね・・・。

一番生意気で、一番聞き分けのない時代を、頭ごなしに押さえつけるわけでもなく、慰めるわけでもなく、少し距離を置いたところからいつも見てくれていたのに、そんなことは露ほども考えず、誰の力も借りない!なんて強がって・・・・・。

自分はなんて心の狭いなんて器の小さい人間なんだとつくづく思いました。

心の整理がつくまでしばらく時間はかかると思いますが、これからは、前は話せなかったような事を話しに、ちょくちょく墓参りにでもいってみようと思っています。


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