朽ちていった命~被曝治療83日間の記録~

Writer: Rie nishizaka

昨日、1999年に起きた東海村臨界事故のドキュメンタリー本を読みました。

はっきり言ってかなり重かった。途中で何度も読むのを断念しようかとおもうほど、つらい内容でした。

事故が発生した時の模様や被害者の状態、医師たちの治療戦略などが、医師の目線で書かれているドキュメンタリー。

一番被曝量が多かった大内さんは、被爆直後東大病院に運ばれてきましたが、その時にはまだ意識がはっきりしていて、皮膚も少し赤みがある程度だったようです。

でも大内さんを貫いた放射線は、染色体を粉々に破壊し、人間が本来持っている再生能力というものを全く機能しないものとしてしまいました。そして徐々にゆっくりと大内さんの体を蝕み始めました。

初めに出たのは皮膚の剥離という症状。いわゆる「やけど」です。
染色体の破壊によって、人間構造の設計図を失ってしまった細胞は、もはや自分で再生することができません。
細胞分裂が出来なくなるので新しい皮膚は全くできなくなります。
一番上の表皮はやけどの相を呈し皮膚はめくれ黒ずんで剥がれ落ちます。
通常大やけどをした場合には、上の皮膚を削り取り、人工皮膚を移植するのですが、大内さんは血小板数値がかなり低下していたため、少しの傷でも出血が止まらない状況に陥ってしまう状態にあり、治すための傷がつけられなかったそうです。

やむなく、妹さんから採取した皮膚を培養し、大内さんには血小板輸血を毎日繰り返すことで、皮膚移植の準備をしました。
でもこの皮膚が大内さんに定着することはありませんでした。
皮膚を移植した時には、体中の体液が皮膚から滲み出し、移植した皮膚はその体液で上に浮き上がってしまう状態にまでなってしまっていたからです。

やけどをした経験がある方は、この痛みわかりますよね。
表皮がなくなり真皮層がむき出しになっているということは、一番神経が集中しているところがむき出しになっているということ。
この痛みたるや想像を絶します。

事故から2か月経った時には、皮膚や腸の粘膜は出血を繰り返し、体液も毎日包帯からにじみ出てしまうほどになってしまっていたそうです。包帯交換の際にその包帯の重さを図り、排出されたと同量の水分を補給して延命処置をしていました。
医師も看護師も家族も、大内さんの回復を願い不眠不休で治療にあたりました。

でもその甲斐なく大内さんは息を引き取りました。享年35歳。子供さんは当時小学生でした。

この話。私は鮮烈に記憶に残っているのですが、今の政治家たちはきっと記憶にも残っていないと思います。
しいて記憶にあるなら、この事故が発端になって保安庁ができたということぐらいですかね。

原子力をまるっきり否定するつもりはないですが、大内さん含め2名が死亡し、700名近くが被曝、そしてその大半の人たちはいまだ後遺症に苦しんでいます。もちろん風評被害もありました。

今回、東海村の事故よりもはるかに深刻な事故が福島で起こってしまいました。
当時作業していた方が病院に運ばれたみたいですが、その後の情報って全く入ってきませんよね。
原発の中で何が起こっているのか、被害はどの程度なのか、出されている情報は本当なのか・・・。

福島に親を持つ立場としては、いつも歯がゆい思いです。
もうこんな事故は起きてほしくない。心からそう思います。


Trackback Leave a trackback from your site.
Trackback URL: http://blog.velutina.co.jp/archives/1702/trackback